「閑話(かんわ) その一」


 眩しさに顔をしかめながら目を開けると、景麒の新しい主がいた。左手に持った燭台で景麒の蒼白い顔を照らし、右手の指で彼の頬を突付いている。
 あんぐりと口を開けたままこれは夢か現実かと考えあぐねていると、目の前の女王は明け方の小鳥のような騒がしさで喋りだした。
「ごめんね、起こしちゃったかな。でも今この国には景麒しか友達がいないし、楽俊にはしばらく会えないだろうし、だからお休みいえる相手が景麒くらいしかいなくて、でもやっと政務が終わったと思ったら景麒はもういないし、食事も一人だったし――とにかくお休みくらい言おうと思って来たんだ」
 古き良き風習を重んじる景麒だったが、あまりの事態に礼を取ることも忘れていた。慌てて飛び起きた為、こめかみに鈍い痛みが走る。

「あ、もしかして何かおかしなこと言ったかな? だって王と麒麟は半身だって言うし、友達というか家族みたいなものだよね。それなのにここに来るまでに結構邪魔が入ってさ、官吏とか兵とかがうるさくて、景麒に用があるなら私の方へ来させるとか何とか変なこと言うんだ。私の勝手なのに相手を呼びつけるなんておかしいだろ? だからそう言ったんだけど、今度はこんな夜遅くにみだりに出歩いちゃ駄目だって。でもここは私の王宮だって皆言ってるのに、自分の家を歩くのに時間も場所も関係ないじゃないか、だからほら、あれを使ってみたんだ、あの――」
 口を挟む暇が全くなかった。もともと景麒は口数が多い方ではなかったし、ゆっくりと慎重に言葉を選ぶため自然と聞き役に回ることが多かった。しかしこれは会話と言えるのだろうか。首を振ったり頷いたりするのが精一杯で、王の素っ頓狂な言動に進言することも出来ない。
「――勅命ってやつを。これは勅命だ! って言ったら皆ようやく黙って、それでやっとここまで来れたんだ。自分の麒麟にお休みを言うのがこんなに大変なんて、王も結構大変なんだな」
 恐らく卒倒するほど大変だったのは新しい景王をなだめすかそうと試みた下官達だったろう。寝起きでぼんやりした頭でそこまで考え、景麒ははっとして陽子の背後、天井まで届く大きな扉に目をやった。疲れた表情の官吏が慌てて麒麟に平伏する。
 気の毒に、新王陽子の説得は骨が折れただろう、何しろ半身であるはずの景麒ですら説得はおろか意思の疎通すらままならないのだから。景麒の麒麟としての慈悲の心は大いに疼いた。

 御歳十六、新しい王は果たして暴君なのかただの我侭な子供なのか、はたまた慈悲深い名君なのか分からない今、下官達はいつになく慎重のようだった。勅勘でも受けようものなら大事だと思っているのだろう。陽子が命じれば官吏はどんなことでも従う。しかしそれは忠誠と親愛からではなく、女王への恐怖心からだ。今はまだ、形式上敬われているだけに過ぎない。絶対の忠誠を誓った景麒とは違う。
 成人すらしていない新しい主は、自分の持つ多大な権力と影響力についてどう考えているのだろうか。景麒は心配で心配で、本当の所をいえば陽子の傍を離れたくなかった。口下手なのにうるさいという、どこか矛盾した性質の景麒が四六時中傍にいると、陽子は少し窮屈なようだ、それは彼にも分かっているのだが。

「ああ、景麒の部屋はもう分かったから行っていいよ。自分で帰れるから」
 恭しく陽子に平伏してから、どこかほっとした様子で官吏達は退出し、そしてすっかり眠気の覚めた景麒と、無邪気に笑う陽子が残された。
 広々とした麒麟の寝所は、束の間いつもの静けさを取り戻した。部屋の主である景麒もまた、ようやく普段の調子を取り戻しつつあった。
 一つ咳払いをしてから、慎重に、あくまで慎重に景麒は口を開く。
「主上、私は――」
「だから、これからはお休みくらい言おうよ。今日みたいに景麒を起こしてしまうのも申し訳ないし、何よりほら、そういう風にしていった方が早く仲良くなれるだろう?」
 主上の麒麟であり、下僕なのです。主上御自らなさらなくとも、命じて下さればすぐに馳せ参じます。贅沢は申しません、一国の王としての威儀というものを、どうかもう少しだけでいいのでお持ち下さい。
 そう続くはずの言葉は陽子のやたら元気な声に遮られ、景麒の口の中で虚しく消えていった。それにしても次から次へとよく喋るお方だ、どこからその風変わりな発想について進言すればいいのか分からない。
「ですから、主上……」
「それとね、ご飯も一緒に食べようよ。広い部屋で一人で食べてもつまらないから。ついでにそれも勅命にしてみた。一つ使うも二つ使うも同じだよね。だからよろしくね」
 王宮にはしきたりというものがございます、それを軽んじてはいけません。そのような薄い襦裙で、麒麟とはいえ臣下の寝所を訪われるなどとんでもないことです。景麒は必死に言葉を紡ごうとするが、またもや陽子の勢いだけはある言葉にかき消された。
 景麒も麒麟とはいえ雄なので、若い娘である陽子に無防備に目の前に飛び込んで来られると困るのだ。まさか、それをそのまま言う訳にもいかないが。景麒は礼を失しない程度にすっと陽子から視線を逸らした。

05/09/16
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何かやりかけてたような気もするんですが書いてしまったので載せます。計画性なしです……
初心に戻ってみました。な慶主従。カプ色はあまりない感じ。というより珍しく健全っぽい!

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