「春花」



 開花しかけた夜桜を眺めながら、陽子は言った。
「秋の夜長は退屈だな、景麒」
「お言葉ですが主上、今は春です。そうでなければ桜が咲くわけがないでしょう」
「それ位分かっている。私が秋と言ったら秋なんだ」
「……さようですか」
 いつもの事だが軽い脱力感を覚えつつ、景麒は続ける。
「主上、秋の夜長が退屈だと仰るのでしたら、もうお休みになっては如何ですか。明日も早いのですから」
「何を言ってるんだお前は。今は春だぞ?気は確かか?」
「………………」
「どうしたんだ景麒、そんな溜息ついて」
「……いえ、何でも御座いません、私の勘違いです」
 この状態の主への反論はすべて無駄……金波宮の常識である。景麒は気を取り直した。
「では、もう遅いので私は下がらせて頂きます」
「まあ待て、秋の夜長をもうちょっと楽しもうじゃないか。桜でも眺めて」
「主上、秋に桜は……それ以前に今は……いえ、やはり何でも御座いません」
「おかしな奴だな」
 溜息を必死で押し留めつつ、景麒はまた気力を振り絞って気を取り直す。
「それで、主上はどうなさりたいのですか?」
「どう、って……決まってるじゃないか。秋と言ったらお花見だろう。という訳で、今から桜を愛でるぞ」
「……はい」
 何が何だか分からない内に花見が始まってしまったが、残念ながら景麒には選択権も発言権も無い為、仕方なく真夜中にも関わらず庭園に出る。この際季節が何だろうが関係ない。全ては主の気の向くままであった。

 何故かすでに準備万端で桜の木の根元に大きな布が敷かれ、酒と肴まで用意されている。不可解だが景麒に主を問い詰められる訳がない。
 女御の鈴や祥瓊、浩瀚、桓たいに虎嘯、楽俊にその他……主上に近しい者が何故か全て揃って待機していた。
「遅かったわね、陽子」
祥瓊の言葉に、陽子は楽しそうに微笑む。
「ああ、ちょっと景麒で遊んでたものだから」
 ……やはり遊ばれていたようである。
 景麒がそっと溜息を漏らしていると、陽子が微笑みながら紙の束を差し出してきた。
「景麒、この中から一枚選べ」
 言われるまま一枚抜き取ると、さらりと王は言った。
「そうしたら次はそこに書いてある事をやるんだ。これはゲームだから絶対にしなきゃ駄目だぞ」
 そう言われ自ら引いた紙に目を落とすと、そこには……

 『明日一日言葉の語尾全てに「にゃん」をつける』

「しゅ、主上、何ですかこれは……?」
「何って……明日一日は喋る言葉の語尾全部に『にゃん』を付ける、ってだけだろ。例えば、『おはようにゃん』とか『朝議を始めるにゃん』とか」
「そ、その様な事無理です、出来ません!」
「大丈夫だ、昼頃には慣れるさ」
「慣れません!」
 景麒の訴えなど聞くはずがない陽子は、集まった者達がそれぞれ引いた紙に書いてある通りの無理難題をこなしていく様を満足そうに眺めていた。
「よ、陽子、助けてくれ――っ!」
『楽俊を抱っこして、毛皮を全身ブラッシングしてピカピカにする』という紙を引いた浩瀚に追い詰められている楽俊の悲痛な叫びが、美しい夜桜が舞う中こだまする。
「ははは、往生際が悪いですよ、楽俊殿」
 涼しげな顔で息一つ乱さず追いかけながら浩瀚はにこやかに言う。
 更にその後ろでは、『化粧もばっちりして女装する(女性の場合は男装)』を引いた虎嘯が、女物の着物を大きな身体に無理矢理着込んでおり、それを鈴と祥瓊が引きつった笑いを浮かべて眺めていた。
「皆楽しそうだな」
「そうでしょうか……?」
 頭が割れるように痛い……景麒は堪えきれずに思わず溜息を漏らす。
「景麒も明日一日頑張れよ」
 にこにこと微笑みながら言う陽子に、景麒はどうこの危機を乗り越えようか必死で考えた。
「主上はその紙を引かないのですか?主上が参加なさらないのでしたら、私も……」
 さり気無く逃げようとするが、陽子はすかさず答える。
「ああ、私もちゃんとゲームに参加するから心配するな。じゃあ早速引くか……」
 やはり無理か……明日の事を思い景麒が痛む胃を押さえていると、陽子は悩んだ末一枚の紙を引く。
 何やら考え込んでいた陽子だっが、一つ大きく頷くと景麒に向き直る。
「景麒」
「な、なんでしょう……?」
「脱げ」
「……は?」
一瞬理解出来ずに間抜けな声を漏らしてしまう景麒だったが、陽子は平然と続ける。
「だから、衣を脱げって言ってるんだ、早くしろ」
「……な、ちょ、ちょっとお待ち下さい、脱げとは一体どういう――」
「どういうもこういうも無い。脱げと言ったら脱げ」
 そう一方的に言い放つと、景麒の上着に手をかけて無理矢理剥ぎ取る。あっという間に上着を奪われた景麒が呆然としていると、今度は陽子が自分の上着を脱いでそれを景麒に頭から被せる。
「それを着ろ。私は景麒のを着るから」
「一体、主上が引いたものは何なのですか?」
 そんな景麒の至極もっともな疑問には答えず、陽子はだぶだぶの黒い官服を羽織る。訳が分からないまま、命じられるまま景麒も主の上着を羽織った。男物とはいえ少々きついが、着られない事もない。
「こんな事なら今日は女物着てれば良かったなあ……」
 何やら物騒な事を言い出す陽子に景麒はもう一度疑問を繰り返したが、陽子は「秘密だ」というだけで全く答える気はないようだった。
 だがそれを知った所で避けられない事くらい分かっていたので、景麒はそれ以上追求するのを諦めた。

 恐ろしく疲れる花見がようやく終わった後、疲れ切った一同がその場を後にするのを横目で見ながら、景麒はいつもの事だが主に振り回される一日がようやく終わった事に安堵の溜息をつきつつ自室に戻った。

 陽子が引いたものが『一番好きな人と衣を交換して着る』だったという事を景麒が知る事は当分なさそうであった。


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「花見をする二人」というリクでした。
何だか賑やかなお話になってしまいましたが、
最後はラブという事で……

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