「We wish you a merry Christmas」



 朝議では確かに、特徴的なその紅い髪は綺麗に結わえられていたはずだが、今はなだらかな曲線を描きながら無造作に背に下ろされている。身軽な軽装に早くも衣替えした女王の言葉を、浩瀚は涼しげな顔で拝聴する。
「あのね、今日は私が個人的に祝いたい蓬莱の記念日だから、たまには景麒を可愛がってあげようと思って」
 恐らく、意味合いとしては台輔をいたわって上げたい、という事なのだろうが、女王御自ら仰ると、何故か違った意味合いに聞こえる。
 しかし浩瀚は、普段口下手にも関わらず余計な一言だけはつい出てしまう景麒と違い、自らの身を危険に晒すような愚かな発言などしない。その代わり、にこやかな笑みを湛えつつこう答えた。
「それは良い事ですね」
「うん」
 これは浩瀚への贈り物だ、と渡された包みを恭しく受け取る。そして浩瀚はいつも通り、事態を静観する事にした。
 再び女王に目を向けると、鈴と祥瓊を捕まえてやはり同じように綺麗な透かしの入った紙で飾られた包みを差し出している所だった。
 実に楽しそうに陽子は二人に計画を話して聞かせていた。恐ろしい事だが、どうやら女王は料理もなさるおつもりのようだった。
 一国の麒麟がそれが元で体調を崩したら大事なので、一応二人は詳細を訊ねてみると、
「人参サラダを作る」という答えが返ってきた。
「人参サラダ」はきちんと翻訳されたが、鈴も祥瓊もいっそ分からなければこれ程どっと疲れる事も無かったろうに、と思う。麒麟の性質を考えて女王なりに気を使った結果が、それらしい。

「野菜を洗って切るだけ……よね?それって料理なのかしら」
女王を見送りながら祥瓊がぽつりと漏らした言葉に、鈴はただ疲れように首を振る。
「さあ……」
「せめて茹でるなり煮るなりして味付けするとか、思いつかなかったのかしら」
「思いつかなかったんでしょう、ね……」
「これ、開けても大丈夫かしら?」
「まさか、いくら陽子でもいきなり蛙が飛び出す、なんて事はないはずよ。相手が台輔ならその可能性も否定出来ないけど、私達あてなら大丈夫でしょ」
 自国の女王への評価としてはあんまりだったが、陽子をよく知るものなら最もな答えだった。

 目の前に積み上げられた膨大な量の野菜を前に、景麒は無表情で立ち尽くしていた。
「何を企んでいらっしゃるのか」
「失礼な奴だな。私は、お前で遊んで……じゃなかった、お前と遊ぼうと思ってわざわざ来たのに!こうして平和に仲良く一緒に蓬莱の祝い事をしようと思う、王の気持ちを無下にするなんて、お前は本当に麒麟か?」
 頬を膨らませ、景麒の周りを軽く回るように飛び跳ねるその姿は無邪気な少女そのものに見える。くるりと回るたび目の前を紅い髪が軽やかにふうわりと舞う様は可憐でさえあった。いつもとは打って変わって愛らしい様子で、思わず手を伸ばして眼前でゆらゆら揺れる紅い髪をそっと手にとりたいという誘惑にかられるほどだった。
 そんな陽子の姿に、景麒は思い直す。
 きっと、主上も一生懸命慣れない料理をなさったのだろう。例えそれが洗って切るだけ、であっても、とても大変だったのだろう。
 蓬莱とはなんと面妖な、と誤った認識を深めつつ、そのままの形の人参を手に取ってみる。皮が剥かれているのが唯一の救いといえば救いだった。
 麒麟は馬みたいなものだから人参がきっと好きなはずだ、という、どこまでも純粋な陽子の好意の現れであった。
 去年も一昨年もその前も騙されていた景麒だったが、今年もやはり、騙されていた。悪気は無いのだが、毎年こうして少しずつ蓬莱に対する大きな誤解を景麒に植えつけている陽子であった。
「それでは後程、頂きます」
 さすがに生のままこの場で平らげてみせる自信はない。
 うん、と陽子は嬉しそうに微笑み、榻にごろりと身を投げ出した。いつものように食べるまで見張る事も食い下がる事もなく、陽子は眠たげに目を伏せる。榻から零れ落ちた髪は床すれすれまで垂れ、豊かに波打っていた。
 目の前にあるものが人参の山では色気も何もないはずなのに、景麒は妙に意識している自分を感じていた。見た目こそ幼いものの、小首を傾げてみせる仕草や物憂げな表情、言葉の端々に、極稀にではあるがこうして歳相応の色香がでる。
 最初とは違い沈黙が気まずいという事は無くなったが、その代わりこうして時々妙な気分になる。
 そして、この時期になると決まって始まるよく分からない蓬莱の祝い事。いつの間にかそれが楽しみさえなっている、そんな自分に気付く。

「そういえば、気付いていたか?出歯亀は諦めて帰ったみたいだぞ」
 突然の主の言葉に、景麒は目を瞬かせる。咄嗟に身を翻して景麒は窓の向こうに目を凝らすが、濃い闇が広がっているだけだった。
 多分この人参の山を見て余りの色気の無さにがっかりしたんだろうな、と陽子はのんびり続ける。
「覗かれてたの、気付かなかったのか?」
 誰かは大体予想つくけど、と特に気にした様子もない陽子に、景麒は頷く。
 じゃあ、と陽子は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「誰も見ていない事だし。二人っきりだし。どうする?」
 榻から身を起こしてその上に立ち上がると、じっと景麒を見つめる。首に両腕を絡ませて耳元にふっと息を吹きかけると、いつもの無表情とは違うがとらえどころのない、何かを期待しているような、驚愕しているような、妙な表情で陽子を見つめ返す。ちりちりとした空気に、二人は身震いするような不思議な感覚を覚えた。
 しばらくただじっと見つめあった後、陽子は小さく呟いた。
「――なんてな」
 からかうようくすくす笑いに、景麒は溜息をつく。
「もしかして何か期待してた?」
 子供のようにわくわくと目を輝かせながら陽子は訊ねる。
「さあ、どうでしょう」
 何を仰るのです、とんでもない。そんな返答を予想していた陽子は、一瞬きょとんとした顔になる。
「お前も中々、言うようになったな」

 どこかくすぐったいような、それでいてとても幸せな、すでに習慣となりつつあるこの日が来年もまた来るといい、景麒はそう穏やかに願った。


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クリスマスなので……間に合わせました。
人参の山作戦が功を奏したのか、一応ちゃんと二人っきりです(笑)
メリークリスマスです。

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