| 「夢譚」（むたん） 浅い眠りからふと目を覚ますと牀榻脇に静かに佇む麒麟に気付いた、無礼をお許し下さい、その声音は常と変わらず穏やかだったが、麒麟の姿を取っているせいか幾分くぐもって聞こえる。 牀榻から身を乗り出し手を伸ばせば麒麟は一歩後退してこちらの機嫌を窺うような素振りを見せる。不審に思い重ねて問えばおずおずと再びこちらに一歩近づく。よく見ると細く長い鹿を思わせるしなやかな足を落ち着き無くそわそわと動かしている。怪しく思い暗闇の中目を凝らしてみるが麒麟の姿ではただでさえ乏しい表情がなおのこと読み取りにくい、それでも辛抱強く目を闇に慣らすとどうやら律儀にも跪礼しようと四苦八苦しているらしい事が分かった。どうしたものかと思うが面白いのも手伝ってそのまま黙って見ていると、やがて麒麟は王の足元にぺたりと身を伏せる事で問題を解決した。 この麒麟の不器用なのを知っていてあえて黙って見ていた事を陽子は可哀想に思い再びそっと手を伸ばすと、今度は逃げずに鼻面を差し出し気持ち良さそうに耳を深く横に倒す。柔らかな産毛のような毛並みは随分と冷たい、どのくらいの間こうしていたのか、敵意がなかったから分からなかったのだろう、巧を逃げ回っていた頃は恐ろしく気が敏かったものだが私も大分鈍くなったものだ、陽子は軽く唇の端を上げるだけの笑みを浮かべ、そわそわした様子で主を見上げる麒麟を優しく撫でて落ち着かせた。 この麒麟には時々ひどく驚かされる。 漆塗りの小鉢から小さな飴を手の平に数粒転がし麒麟の口元に寄せると、麒麟は歯を立てぬよう気を使っているのかゆっくり慎重に舐め取る、その様子がとても可愛らしく見え陽子は微笑んで訊ねた、 「私の事好き？」 景麒が頷いてこの静寂の中でなければ聞こえないほど小さく肯定の言葉を漏らしたので陽子も満足そうに頷く、人の姿を取っている普段の景麒にはとてもこんな風に聞けない。 「そう、私はこの苺味のが好きなんだ、あとは檸檬味のこのまあるい飴がね」 以前はこうして無言のまま妙な雰囲気になるとどうにも気まずくて逃げ出したくなった、今でも少しきまりが悪い、人の姿だと余計にそう感じるからすぐにつまらない喧嘩を吹っかけて追い出してしまう。景麒も朴念仁なりにそれが分かったのか深夜ふいに訪れる時は麒麟の姿で誰にも知られる事なく何の予告もなくただ静かに来る、それがいつも唐突で毎回こうしてとても驚かされる。 だが気づいた時には既に出来ていた暗黙の了解、共通の言葉を陽子は嬉しく思った、誰も知らない共通の秘密はいつになってもどきどきして楽しい、とても親密になれた気がする。 何度も来ているのに景麒はいつもおずおずと陽子の機嫌を窺っている、それも彼らしくておかしかった。 耳を澄ましても二人の息遣い以外何も聞こえない、陽子は丁寧に鬣を撫でてやりながら考えた。 この麒麟は時々恐ろしい程神聖に見えて自分が嫌になる、彼はあまりに清らかで慈悲深く私とは正反対だ、と。 ふいに景麒が下から頭を押し上げるようにしてぼんやりと虚空を眺めている陽子の注意を引いた、これは何を考えているのか知りたいという意思表示だ、言葉の代わりに仕草で表す麒麟にも大分慣れてきた。 本当に偶に、だけど、時々お前はどうしようもないくらい神獣で恐れ多い位だよ、そう冗談めかして答えると、僅かに首を傾げてこちらを見遣る、そして、 「私はそれほど綺麗な存在でもないのですよ」 そう呟くので陽子は瞠目する。 私は今まで相手を誤解する事によって勝手な期待を抱き、自分の考えている事とは違うと理解する事によって勝手に失望してきた、それは両親だったり同級生だったりこの世界の人々だったりもう嫌になるくらいだ、だから私はとても身勝手でどうしようもない奴でとにかくお前とは違うんだよ、と重ねて自嘲気味に呟くと景麒は両耳をぴくりと動かして何やら思案する。 「理解なさったのならそれでよいのではないでしょうか」 どうやら慰めてくれているらしい、景麒は嫌味だけれど嘘はつかないから信用してもいいのかもしれないな、と茶化すように言う陽子に景麒はあくまで真面目腐った様子で頷くので、やっぱり時々すごく麒麟らしいと陽子は感じる。 私は最初景麒を誤解する事で嫌ったけれど、理解する事で前よりは好きになれた気がする、だからまた会えて良かった、だからこういう少しくすぐったくてもどかしく、気恥ずかしいけどとても心地が良い時間が長く続けばいいと陽子は思う。 自分は愛されるに値しない者だと度々思うが、この麒麟は無償の愛を注いでくれる、それがたまらなくこそばゆくて、今はまだ素直に受け取れない。 だから人の姿で来るのはもう少し待って欲しい、今はまだ王と麒麟の関係の延長線上にいたい、それまではこうして麒麟の姿で居て欲しい、それまでは口付ける代わりに甘い飴を上げるから、陽子は声に出さずに呟いた。 戻る 04/03/24 ちょっと違う文体での陽子です。 陽子は色々と難しいです。 |