※注意
陽子×景麒です。やや裏要素有。
相思相愛ですが少し歪んでいるかもしれないので苦手な方はご注意下さい。


「お伽の国」(おとぎのくに)

 どういう訳だか陽子は、前々からこの官吏が気に入らなかった。
 だから今日、彼が女王の不興を買うことを承知の上で、叛意ありと判断されても仕方が無いことも承知の上で、礼も取らずに陽子の前に立ち塞がり、
「主上は何もお分かりでない」
 ぎらぎらと濡れた瞳でそう吐き捨てた時、陽子は安堵したのだ。
 理由は単純だ。そして子供じみている。
 愛すべき慶の民、愛さなくてはならない自国の民、陽子が人であった時に築き上げたもの全てを捨てて守ろうとしたもの、国の中枢を担う官吏の一人、その彼を気に食わないと思っていた自分自身を許せる理由が、僅かではあるができたからだ。

 歳若い官吏の目を、陽子はじっと覗き込んだ。女王の挑発的な視線を受け僅かにひるんだ瞳には、正義と理想の二文字がある。結構なことだ。次に手を見た。女のようにすべすべしていて、爪も綺麗で形が良い。
「お前は昔の私に少し似ているな。嫌いにならないよう善処するからお前もそうしろ」
 虚を衝かれたのか、返す言葉を失って立ち竦む官吏に陽子はひらひらと手を振ってみせる。陽子の手に負える範囲で少しずつ動く小奇麗な箱庭が今はまだ気に入らないようだけれど、それは陽子にもどうにもならないことだ。
 呆れたように、同時にどこか面白そうに王を見遣る冢宰と、慌てて後を追ってくる大僕を横目で見ながら広い回廊をずんずん進む。
 気に食わないが、彼は善良で、頭は石みたいに固いが聡明で、徒党を組まず、はっきりと物をいい、何より王を人間として扱っている。
 陽子が機嫌を損ねたまま朝を迎え、不機嫌を顔にはりつけたまま昼を向かえ夜になったとしたら大半の近臣は彼女の機嫌を必死に取り結ぼうとするだろうが、彼は数少ない例外の一人ということだ。

 馬鹿げている。たかが小娘一人がくだらない、例えば彼女の麒麟が時折みせる、あの人の神経を逆撫でする仕草が気に入らないとか、そんな些細な理由で機嫌を損ねているからといって、大真面目に頭を抱えて右往左往しているとは。
 暑さに辟易したり、珍しい菓子に喜んだり、男と褥を共にしたりと随分と人間臭いが、王は絶対で恐れ多い現人神だった。

 馬鹿げている。だが事実だ。王の言葉は揺るぎの無いものであり、王の言葉のままに白は黒になり、昼は夜に変わり、道端の石ころは宝玉にもなれるのだ。だから権力は恐ろしい。
 もっと恐ろしいのは、陽子自身がそれを喜んで受け入れていることだった。

 お気に入りの部屋に涼みに来てみると、先客がいた。
 淡い色の鬣をゆらゆらと揺らしながら、お待ち申し上げていましたと丁寧な礼をとる。
「約束してた?」
「いいえ。でもお待ち申し上げていました」
 そういえばこの男は生まれた時から人間じゃなかった、そのせいだろうか時々妙な言動を取る。それはお互い様なのだろうけど。
 雲海から来た塩辛い風が部屋の中を駆け巡り、麒麟の鬣と女王の長い髪を乱していった。自分の紅い髪越しに景麒を見ると、何だか不吉な感じがするからあまり好きではない。

 ここで景麒に、自分が感じたそのままのことをぶつけてみたとする。涙を流してみせるのもいいかもしれない。何もかもが私に圧し掛かってこようとしている、可哀想な女王を見て、触れて、慰めてくれと。感情が高ぶれば泣くこともあるだろう、たまにはそれもよさそうだ。もしくは狂ったように笑ってみるとか。景麒はどうするだろう、一緒になって取り乱すだろうか、それとも哀しそうな目をして必死になだめすかすだろうか。

 何もかもどうでもよくなることだってある、現実的でない正論は役に立たないから好きじゃない、そして私はそれでいいと思っている。
 そう切り出しながら、陽子は麒麟の反応を観察する。
「国を動かしている最も強い力は欲望だと私は思うよ。欲望があるから人は幸せになれるんだって」
 景麒は官服の襟を神経質そうに正している。不安と困惑が陽炎のように麒麟の全身から立ち昇っていて少し苛々する。
 この麒麟は飢えてもいないし死ぬ心配もない。その手の欲望には無縁の存在だ。つまり、余裕のある生き物だけが抱く欲望があるということだ。独占欲だとか支配欲だとか性欲だとか物欲だとか、ありふれた何か、知性を持つ存在特有のものが。
 陽子は麒麟を神獣だと思ってはいるが、仁獣の性質を除けば、人間とさほど変わらない存在だとも感じていた。

 陽子は麒麟の欲望の一つ一つをよく知っている、痛いほど感じている。
 命じられてもいないのに陽子の傍らに膝をついて飽きもせずに主を見上げている様子だとか、暇さえあれば陽子を探して時間の許す限り傍にいたがるところだとか、そんな可愛くて愛しい欲望である時が大半だが、もっと直接的な時もある。あらゆる意味で麒麟らしい麒麟である景麒は恐れ多さに身を震わせながらも、時々陽子の機嫌を窺いながら褥に潜り込んでくる。

 今日もまた、景麒は陽子の傍らに跪いて、陽子に翻弄されたり疎んじられたり愛されたりするのを待っている。陽子は小さく溜め息を漏らした。
 景麒の額にかかる鬣を指先で払ってから生え際のあたりをやんわり押さえつけると、麒麟が身構えるのが分かった。苦手であることは承知の上で、小刻みに震える麒麟の額、ちょうど角があるであろう部位を手の平でぺたりと覆う。
 こんなことをしてみても実のところあまり面白くはない、せいぜい陽子の支配欲や独占欲、嗜虐心あたりを少し満たしてくれるくらいだ。
 陽子なりのやり方で麒麟を愛しているつもりなのだが、上手くいっているとはいい難い。
 陽子が想像していた以上に、何もかもが難しくて、厄介で、手に負えなかった。

 お前の想像した国とは少し違うかもしれないが、それは許してほしい、この国は今のところとても平和だから。だってたんぽぽも咲いているし、蓮華草も綺麗だ。ほんの少し前までは皆飢えていて、可愛い小さな雑草すら根こそぎ民の血肉となって消えていった。どうってことない雑草だけど、今まではそんなどうってことない雑草すらおちおち咲いていられなかったのだから。
 陽子は心の中で小さく呟いた、そのつもりだったが声に出ていたらしく、歓喜の色が麒麟の目の中でさざ波のように揺れている。

 こうして麒麟を侍らせ、銀を食らう鳥や空に浮かぶ橋に囲まれていると、かつて自分がただの人間で、この世界の存在すら知らなかったということが信じられなくなってくる。でもそんな気がするだけで、ゆるく目を閉じてほんの少し手を伸ばせばすぐに過去の残像が頭の奥底から湧き出してきてこめかみがずきずきする。死の瞬間の走馬灯を待つまでも無い。
 景麒はじっと陽子の全てを見守っている。
 陽子は疲れたように目を閉じた。しばらくそうしていた。そして彼女の麒麟が不安を感じてそわそわしだす前に、かび臭い古い残像を振り切った。

 陽子はもちろん聖人君子などではない、醜くて卑怯でだけどそれ故に愛すべきありふれた元人間の一人に過ぎない、それでも今何をいってやればいいのかくらいは分かった。
「私はお前を可愛いと思ってるし、景麒だって私のことが好きだろう?」
 景麒は陽子がびっくりするくらい素直に頷いた。
「なら何も心配することはないよ」
 彼女の麒麟にとってだけ、強い説得力と愛情を持つ言葉だった。
 何百年もの昔から王宮に巣食っている古狸に同じことをいったら、嘲笑われるだけだろうけど。

 身体中が心臓になったような高揚感を味わいたい、そして泥のように眠りたいと陽子は思った。夢も見ずに目覚めたら麒麟の手を引いて、田畑に咲く泥と埃と民の汗にまみれた小さな花を見せてあげたい。
 跪いたままの景麒を見下ろすと、陽子の前でだけ見せる彼特有の欲望がちかちかと瞬いていた。
 陽子は天女のように微笑むと、硬く冷たい床に景麒を押しつける。そして自分もごろりと横になると温もりを求めて麒麟に擦り寄った。景麒の温もりと、ひんやりとした大理石の落差が心地よくて、陽子はうっとりと目を細める。ほっそりとした褐色の腕を麒麟に伸ばし、手馴れた様子で衣を乱すと、子供のような無邪気さで彼に微笑んで見せた。身体を重ねると、鋳型のようにぴたりと合わさる、陽子の半身はとても綺麗だ。陽子の豊かな紅い髪が滝のように流れ、麒麟の身体に降り注いだ。

 太陽が沈みかけている。乱れた息を整えながら、陽子は立ち上がった。
 景麒も体重を感じさせない動きで身を起こすと、再び陽子の傍らに跪いた。

 どこか遠くから響く、鳥の叫びが頭をがんがんさせる。
 穏やかな夕日がさあっと室内を満たし、陽子のあどけない横顔に意味ありげな影を作っていく。きいきい喚く鳥の声と茜色の光に彩られた空間はどこか現実離れしていて、何かの始まりを感じさせる一枚の絵のようだった。
 その中に佇む少女の姿をした神と、青年の姿をした神獣もまた、現世から遠く離れた世界に住む異質な存在のように見えた。あるいは、件の官吏が陽子にとうとうと訴えた、ありもしない理想郷の住人のように。

戻る  05/07/01

半年振りくらいにサイト復活。
微妙に直しつつもあんまり変わらないような……
とりあえずさり気無く基本形になってる陽子×景麒です。

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