「レモン味?後日談」



 景麒の専売特許のはずの溜息をつき、陽子は柱の影からそっと顔だけ覗かせた。景麒の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、ぴょこんと回廊に飛び出す。
 別に逃げ隠れする必要はないのだが。
 景麒がいきなりしてきたくせに、なぜ私が逃げ隠れしなきゃならないというのだ。
 とは思うものの、気恥ずかしくてどうしても避けてしまう。
 朝議の時はさすがに傍に控えさせているが、ほとんど目も合わせず、政務もここのところずっと浩瀚と進めていた。
 何かあった事は明らかなのに、何も言わない浩瀚もまた、ある意味景麒より質が悪い。

 陽子は本日何度目になるのか数える気にもならない溜息を漏らす。そもそもこの隠れるという行為自体、景麒の前では無意味なのだ。王気が見える癖に気づかない振りをしているのだから、景麒も結構気にしてるのかもしれない。そうでなければあの景麒の事だ、平気でずかずか柱の陰まで来て陽子を引っ張り出すに違いない。ついでに小言もつけてくれるだろう。

 恥ずかしいのもそうだが、陽子はもう一つすっきりしない事があった。当初の疑問であった、キスの味である。あの時は驚きのあまりよく分からなかったのだ。

 一度考え出すと、もう止まらない。疑問はどんどん膨れ上がっていく。そして幸か不幸か、陽子は何か疑問を感じると、羞恥心その他もろもろの感情は、綺麗さっぱり忘れる事が出来るのであった。これもある意味王の資質といえるだろう。止められる者など誰もいないまま、行動派陽子は突き進んでいった。

 さっそく陽子は疑問解消の為景麒の寝所に忍び込んでみる事にした。疑問で頭が一杯の為、通常なら当然感じるはずのためらいも全くない。
 放浪時代に培った機敏さで、上手く気配を殺し景麒の寝台に近づく。薄布で覆われた寝台に入ると、寝る時まで姿勢を崩さない景麒が規則正しい寝息を立てていた。陽子はまじまじとその顔を眺める。そしておもむろに寝台に手をつくと、景麒の顔を間近で観察した。使令は面白がってじっとしている。

 一度キスしたのだから、もう何回しようと同じである。それに、慣れればもう恥ずかしくないだろう。陽子は大胆にもそう考えていた。
 そして好奇心のまま、何のためらいも無く顔を寄せる。
 唇を重ねてみるが、柔らかい感触がするだけで味がよく分からない。そこで一旦唇を離す。
 何だかよく分からない。
 そこでもう一度唇を押し付ける。しばらく唇を重ねていたが、やっぱりいまいちよく分からない。

 いくら熟睡しているとはいえ、ここまでやればさすがに気付かないわけはない。僅かに瞼が震え、それからゆっくりと瞳が開く。
 ややあって意識がはっきりしてきた景麒の目が、いるはずのない主の姿を捉える。

「何だ、起きたのか」
「しゅ、主上……何をなさっておいでで……?」
「見て分からんか」
 悪びれずにいう陽子に、早まる鼓動をなだめつつ答えた。
「わ、分かりません……」
「この前のお返しだ、もちろん」
「お返し……ですか……?」
 あっさり言い放たれ、景麒は動揺する。
 この前――この場合、景麒が衝動的に取ってしまったあの行動に違いない。

 景麒自身、自らの行動に驚いていたのだ。
 麒麟でなかったら――いや、麒麟でも不敬極まりない行為だった。おまけに動揺していたせいで、ろくに謝罪もしていない。
狼狽した頭でそんな事を考えていると、陽子は更にとんでもない事を口にした。

「それもあるし、この前は味がよく分からなかった」
「しゅ、主上、何て事を仰るのですか……もう少し慎みを……」
 景麒は眩暈を覚え額に手をやった。

「慎み、ねえ……言わせてもらうが、いきなりキスしたのは景麒の方だぞ」
 それを指摘されると、景麒も反論のしようがない。

「あ、あれはその……思わず……」
「思わず何だ?」
 不敵に笑いながらここぞとばかりに陽子は追及する。
 景麒は言葉に詰まる。

「申し訳ありませんでした……」
 申し開きしようがないので、謝るしかない景麒だが、陽子は気にした風もなく言う。

「景麒も衝動的に行動する位だから、私が何をしてもおかしくないと思わないか?」
 そう言って素早く再び唇を重ねる。
「やっぱり分からないな。何でだろう」
 景麒はもはや言葉もないのか、無言で呆然としている。

「私の勝ちだな」
「な、何が勝ちなのですか……というより、いつから勝負になっていたのですか……」
 眩暈がしたが、景麒は何とか言葉をしぼり出す。
 何故か陽子は訳の分からない基準で、いつの間にか景麒と張り合っていたようである。

 陽子は当初の目的からも外れている事にも気付かず、景麒の慌てた様子を見て満足そうな様子であった。
 とことん強気で通していた陽子だが、景麒の言葉を聞いて凍りつく。

「……主上、そんな事ばかり仰っていると、私も後でお返しいたしますよ」

 今まで疑問解消に夢中になるあまり恥ずかしさを忘れていた陽子だったが、ようやく通常の羞恥心が戻ってきた。一瞬で血の気が引いていく。
 そして今の状況を分析できる冷静さも戻ってきた。
 やっと正気に戻った陽子はじりじり寝台から後ずさり、後ろ向きのまま後退し無言で景麒の寝所を後にした。

 その後景麒の「お返し」があったかどうかは定かではない。


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02/12/20



「レモン味?」の続編です。

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