「主従関係改善計画」



 数えるのも馬鹿馬鹿しい、幾度目かの壮大な取っ組み合いの喧嘩――と言っても、陽子が一方的に掴みかかっているだけだったが――がようやく終結し、さすがの陽子も考えた。
 景麒が嫌いな訳ではもちろんない。
 なのに何故こうも衝突してしまうのか。
「景麒とのコミュニケーションが足りてないからだ。きっとそうだ。大体、あいつは心が狭いし石頭過ぎる。この間もちょっと寝てる間に鬣をカールしただけなのに怒ってたしな。せっかく綺麗に巻いて整えてあげたのに嫌味いうし、全く、景麒は一体何が気に入らないって言うんだ」
 少々強く巻きすぎたらしく、しばらくカールが取れず朝議の間中官達の注目を浴びる事となってしまったのは確かだが、陽子がいくら似合っていると言っても全く聞く耳を持たないのだ。
 全く石頭め、性格の不一致だなんて倦怠期の夫婦じゃあるまいし、などと呑気に考えながら陽子は主従関係を改善すべく計画を練る事にした。
 景麒は正寝の庭院にある池の亀より不器用で気が利かないから、自分から働きかけないと駄目だろう。衝突が減ればきっと景麒も喜ぶはずだ、まずは無難に会話から始めよう。慣れれば途中で取っ組み合いになる事も無く和やかに話が出来るようになるかもしれない。
 陽子はどこまでものんびりと考えていた。

 一方景麒は、「まだこちらに慣れてらっしゃらないのだ、しばらくすればきっと少しは女王らしく淑やかになられるだろう」などというあり得ない望みを抱きながら静かに午後の政務に勤しんでいた。
 胸倉を引っ掴まれる事もなく静かに並んで散策したり、目が合うと優しく微笑んで下さったりする、そんな日がいつか来るかもしれない。
 景麒の、あまりに儚すぎる夢であった。
 しかし、その夢想はすぐに破られる事となる。何の前触れも無く唐突に開かれた扉から王が転がり込んで来たからだ。
 驚いて声をかけようとするが、扉のすぐ脇に積まれていた巻物に足を取られたらしく、陽子はその場で盛大に転倒した。班渠は傍に控えていたのだが、今日に限って冗祐はついていなかったのだ。
 慌てて駆け寄った景麒に抱き起こされるが、陽子は当初の目的も忘れて睨みつける。
「何で、こんな所にこんなものが転がってるんだよ。罠か?」
「申し訳ありません。お怪我は御座いませんか」
 理不尽だが、怒りの矛先は当然のように景麒に向けられていた。神籍にある陽子がこの程度で怪我をする事はまずないはずだが、床に座り込んだままふて腐れている陽子を放って置く訳にもいかない。
 そっと抱き上げて榻に下ろそうとするが、それより早く、本来の目的を思い出したらしい陽子に勢いよく胸元を掴まれる。
「そうだ、こんな事してる場合じゃなかった。お前に話がある」

 こうして陽子の主従関係改善計画が半ば強制的に始まった。
 景麒に抱き上げられたままだが、計画に気を取られている陽子は特に気にした風もない。
 早速陽子は周到に用意しておいた質問を矢継ぎ早に出し始めた。それは趣味から始まり何故か景麒のスリーサイズにまで及んだが、この主従に限ってそんな話題で会話が弾むはずがない。そもそも堅物を絵に描いたような景麒に、気を利かせた上手い返答が出来るずもなかった。
 しどろもどろになりながらも、かなり骨を折ってどうにか会話を続けていた景麒だったが、いつまでもこうして陽子を抱えたまま立っている訳にもいかない。とは思うものの、しっかりと陽子に胸倉を掴まれている為、身動きが取れない。かと言って主の話を遮るのは危険過ぎるし、何故急に飛び込んできて景麒を質問責めにしだしたのかは不明だが、ただでさえ現在進行形で悪くなって来ている陽子の機嫌が最悪になってしまう。
 景麒はやや迷ったが、陽子を抱き上げたまま榻に座り、そのまま自分の膝の上に乗せるという方法を取る事にした。これなら陽子に胸倉を掴まれていても、全く問題ない。
 女王に胸倉を掴まれる事に慣れている麒というのも少々問題があるが、我ながら名案だと思いつつ景麒は実行した。
 幸い陽子は計画に夢中になっているらしく、暴れる事なく大人しく景麒の腕の中に収まった。こうして主従関係改善計画は何事も無かったかのように続行された。

 この辺りが似たもの主従と言われる所以であったが、当の主従は全く気付いてはいなかった。指摘出来る勇気のある者もまた、いなかった。

 途中景麒の要領を得ない返答に苛々した陽子に襟元を締め上げられ、意識が遠のきかけるというちょっとしたいつもの一方的な喧嘩はあったものの、どうにか無事に陽子の第一回主従関係改善計画は終わろうとしていた。
 そしてここまで来てようやく、陽子は気付いた。
「何で私はお前の膝の上に座ってるんだろう」
「主上が私の衣を掴んでらっしゃったからです」
「そうか」
「はい」
 なら仕方ないな、とあっさり納得する陽子に、景麒も重々しく頷いて同意する。榻に座り直すかと思いきや、余程居心地が良かったのか、体勢を整えるべく景麒の首に両腕を回して陽子は再び腰を下ろす。景麒もまた、自然な動作で陽子の背にそっと手を伸ばし引き寄せた。

 陽子が一方的に掴みかかっているだけにせよ、何故取っ組み合いにまで発展する諍いを誰も止めようとしないのか。
 それは、あらゆる意味で無茶な陽子を恐れているというのもあったが、最大の理由はここにあった。何だかんだいいつつも、結局は単にいちゃついているだけの主従を止める無粋な者など誰もいないのだ。
 夫婦喧嘩は犬も食わない。
 金波宮中の者がそう思いつつやり過ごしている、それが真相であった。

 もちろん、それに気付いていないのは女王と麒麟だけ、であった。
 わざわざ指摘する者ももちろん、いない。


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サイト開設一周年という事で慶主従小説を。

久々に書いたのでもの凄く時間がかかってしまいましたが、どうにか間に合いました……

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