※注意

前編と同じく、陽子×景麒前提ですが陽子×浩瀚の描写が
結構あるのでご注意下さい。

(描写はありますが、やっぱり恋愛感情とはちょっと違う感じです。
誰かが不幸になったりとかはありません。
誰にとってもハッピーエンド、だと思います)

全然大丈夫、という方はスクロールしてお読み下さい。





「夜の樹(後編)」



 これからどうするか?
 陽子はすっかり習慣となっている自問自答を繰り返す。
 有能な冢宰はいつものように女王を宥めて笑顔を引き出し、全て完璧に元の状態へ戻してから正寝へと送り届けてくれるのだろう。そして何事もなかったかのようにまた明日が始まる。
 でも何だかそれはとても寂しいような気がした、だから陽子は杯を置くと立ち上がった。
 陽子が腰を浮かすと同時に浩瀚もすっと席を立つ。王が立っているのに臣下だけ座っている訳にはいかないからだろう、こういう所は景麒とよく似ている。
 忠誠心も強く聡明で弁が立ち、赤ん坊を見たら老後の生活設計まで立ててやりそうなくらい、先を見通す男。それがどんなに気に食わなくても、物事のはじめと終わりの糸を結び付ける事が出来る男。陽子は時々ひどく厭世的になる事があるが、そんな時どうすれば王が微笑むのか浩瀚は知っていた。彼が感情に流される所なんて想像もつかないが、決して冷たいという訳でもない。陽子の罪悪感を最小限に抑えながら必要悪について教えてくれるような、そんな器用な男だ。

 陽子はまるで初めて見るかのようにまじまじと目の前の男を見つめた。
 一分の隙もなく、王の無遠慮な視線にも動じる様子はない。
 花釵を取ってしまったせいで、ほつれた髪が幾筋かゆっくりと思い出したように陽子の頬にかかった。視界を妨げた髪に鬱陶しげに目を細めていると、失礼を、と浩瀚が静かに指先で複雑に結わえられた紅い髪をそっと撫で付ける。ひんやりとした感触が一瞬頬を掠め、それが果実酒で微かに火照った顔に心地良い。陽子はそっと浩瀚の手に触れた。
「手が冷たい人は心が温かい、ってこちらでも言うのかな。浩瀚の手も冷たいね」
「主上は例外ですね」
「だといいけど」
 悪戯っぽく笑って浩瀚の首に両腕を絡ませると、陽子は思い切り背伸びをしてこつりと額を合わせた。ほんの一瞬だけ唇が重なり、すぐに離れる。
 少しは吃驚しただろうか、一度くらいふいをついて驚かせてみたかったのだけど、そう思いながら男を見上げる。
「急にこうしたくなった。そういう時ってあるだろう?」
「主上がそういうご気分でいらっしゃる時、御傍に侍る者は幸運ですね」
「別に誰でもいいって訳じゃないよ」
「ええ、私も同じです」
 どういう意味、と陽子が問うより早く腰を強く引き寄せられ、あっと思う間もなく再び唇が塞がれた。ただ軽く触れただけだったが、小鳥が啄ばむような優しい口付けだった。
「私は死罪でしょうか」
 冗談なのか本気なのか区別がつかないような真面目腐った様子で訪ねるので、陽子は苦笑して首を横に振った。

 お互い恋だの愛だのにはなり得なかったとしても、それでも彼の事は好きだと陽子は思った。
 例えば、何という事もない少なくとももう千回は何気なく見ているはずの風景を見て笑い転げたくなるくらい幸せを感じる自分だとか、日溜まりの中で下ろした髪が風になぶられるのがとても気持ちが良くて好きだと、ただそれだけを考えてぼうっとしている自分だとか、そんな陽子の心の一番柔らかで無垢で繊細な部分を彼は揺り動かすのだ。景麒とはまた違った形で。

「やっぱり止めとこうか。何だか……何だか違うと思うし」
「そうですね」
 やや距離を取って言う陽子に、浩瀚は丁寧に埃が払われた花釵を差し出した。陽子は手を伸ばしかけ、止めた。
 色恋沙汰にはなり得なかったとしても、やっぱりこのまま無かった事にするのは少し切ない。
「それはあげるから忘れないで」



 春も終わりを告げようとしているのに何故だか今夜はひどく寒い。
 広い臥室に佇む見慣れた姿に陽子は子供のように駆け寄る。きっちりと結わえられていた髪はすっかり解け、なだらかな曲線を描いて背に流れていた。
 花釵は、と問いかけた景麒に、陽子は微笑んで「秘密」と答えた。いつもの事だが、むっつりと押し黙っている景麒の顔を陽子は下から覗き込む。
「何怒ってるんだ。浩瀚の所に行ってたから?」
「そうだったのですか」
「あ、墓穴掘っちゃったかな……」
 悪びれた様子もなくあっけらかんと言う陽子に、景麒は軽く息を吐く。
「あのね、女心は複雑で気紛れなんだよ」
 心底困り果てた様子でこちらをじっと見つめる景麒、気の利いた事も言えず不器用で女心なんかまるで分かっていない、それでもこうして傍にいると安心する。まだこの地は陽子にとって本当の意味での故郷にはなっていないけれど、景麒といると自分はここにいてもいいんだと実感できるのだ。
 茶器は用意されているものの使われた形跡はない、この麒麟はずっとここで待っていたのだろうかと思うと、陽子の小さな胸は罪悪感にきゅっと締め付けられた。
「私は今すごく寒いんだ」
 その言葉に景麒はぎこちない手つきで旗袍を羽織らせようとするが、陽子はそれを優しく制した。
「そういう時はね、抱きしめてくれなきゃ」
 再びぎこちなく手を伸ばす景麒の胸に額を強く押し付け両腕を背に回すと、嗅ぎ慣れた品の良い香が鼻腔をくすぐった。
「こんな風に景麒に抱きしめられるのって好きだよ」
 いつになく上機嫌な陽子の両頬を、景麒はそっと指の腹で優しく撫でた。同じ場所を今度は唇でなぞるように触れてから、ゆっくりと唇を重ねる。
「今まで何してたか知りたい?」
「いいえ、いいんです」
 今彼女はとても幸せそうに見えたし、自分もとても幸せだったのでこれ以上何か言うのは愚かな事だと景麒は思った。愛するという事はどこか信仰に似ていて、ただ信じるしかない時もあるのだ。
 景麒の答えを聞き、陽子は優しく微笑んだ。

 程なくして臥室の、蛍の様な頼りなげな灯りが消え、暗がりからくすくすと忍び笑いが漏れた。


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どうにかまとまりました。
何だか時間がかかってしまいました……
ハッピーエンドにはなっていると思います。
後編は特にこういう内容なので、こういうのもありかどうかだけでも一言教えて下さると嬉しいです。

タイトルはカポーティの同名小説から。
でも内容はあんまり関係ないです。

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