「憂鬱な午後には」



 髪が伸びない訳じゃない。
 爪が伸びない訳でもないし、何より私は私である事に変わりはない。
 だが、幼さを残したままの顔立ちは止まったまま成長する事はない。
 後どれ位背が伸びるんだろうと考える事もなければ、大人になった自分の顔を想像する事もない。時折下界に降り、馴染みのある通りを歩き、そこを駆け回っていた子供達が成長し、やがて外見上は自分を追い越していくのを見てきた。
 変わらぬ少女の外見のまま歳月を重ねるにつれ、陽子は言葉に表せない苛立ちのようなものを感じ始めていた。

 政務を執る冢宰を陽子は何とはなしに眺める。若すぎると言う訳でもなく、青年の域を越えているわけでもない。その性格が表れているのか、年恰好よりはずっと落ち着いて見え、いかにも切れ者という印象を人に与えている。
 彼程とまでは言わないが、せめて後二、三年でいいから成長していれば、と考えても仕方のない事を思いながら、じっと浩瀚の顔を凝視する。浩瀚は気にした風もなく政務を続けていたが、景麒は違ったらしく一つ溜息をつくと主に向き直る。
「主上、何をそんなに冢宰の顔ばかり眺めているのです?何か分からない点でもあったのですか?」
 陽子は面白くなさそうに答える。
「浩瀚は大人だな」
「何を訳の分からない事を仰るのですか。当たり前でしょう」
 表情を変える事なく景麒は言うが、浩瀚はその一言だけであらかたの事情を理解したらしい。
「主上は、今の外見上の年齢がご不満ですか?」
「不満って訳じゃないけど……ただ、もうちょっと大人でも良かったかな、とは思う」
「それは、ようございました」
 冢宰の意外な言葉に陽子は軽く目を開く。
「いいって、何がだ?」
「そのように詮無きことを考えてしまうのは、それだけ慶に余裕が出てきた証拠ですから」
 確かにそうかもしれない……それでもまだ陽子の気持ちは晴れなかった。

 王に近しい極一部の者にしか知られていないこの一角は、陽子が時折訪れる場所だ。寂れてはいるが荒れているという訳ではなく、ごく自然に花が咲き誇っている。
 予想通り来た自分の下僕に、陽子はいつものように座るよう促す。
 煩わしいだけだったこの沈黙も、今では心地よいものになっていた。
「さっきの事か?」
 先程は冢宰の言葉をただ黙って聞いていた景麒だったが、やはり思うところがあったらしい。こうして後から陽子を追って来るのも、もう習慣となっていた。
「別に、全然気にしてない――と言っても、お前は引き下がらないんだろうな」
「後悔していらっしゃるのですか?」
 景麒の予想通りの問いに陽子はやや的を外した答えを返す。
「お前を見ていても浩瀚に感じたような、大人、って感じはしないんだよな。何でだろうな?」
 からかいを含んだ言葉だが、景麒はそこに王の優しさを感じ、陽子にしか分からないような微かな笑みを浮かべた。
「主上を見ていると、私も年を取りません」
「それは、私がいつまで経っても子供だって言いたいのか?」
 棘のない景麒のからかいに、陽子も軽く言い返す。すると景麒は、幼い子供でも相手にしているかのように陽子の紅い髪にそっと指先で触れる。陽子はくすぐったさに軽く笑うが、やがてその心地よい感触に静かに目を伏せた。
「いきなりこんな事を考え出した訳じゃ、多分ないんだ。ずっと前から、こういう思いはあったと思う。そういう意味では、さっきの浩瀚の言葉は確かに当たってるな」
 陽子の髪を今度は丹念に指で梳きながら無言で頷き、景麒は先を促す。
「人は年を取り、やがて死ぬものだ。年を取るまでも無く死ぬ者も多い。死ぬのは辛い。だけど、生きるのも辛い。年を取るのは嫌なものだ。だが、永遠に年を取らないのもまた、嫌なものだ。私は結局、無い物ねだりをしているだけなんだけどな」
「そうかもしれませんね」
「遠慮がないな、お前は。他に言いようがないのか?」
 遠慮する景麒というのも気持ちが悪いが。
 いつからこの麒麟とこんな風に軽口を叩けるようになったのか。
 いつからこの言葉の足りなさと気の利かなさに、どこかほっとした気持ちを抱くようになったのか。陽子はぼんやりと暖かな日の光を浴びながら考える。

 ぼうっとしていたせいで、反応が遅れた。
 陽子がはっと気付いた時にはもう、景麒にひょいと抱き上げられた後だった。
 担ぎ上げるやり方ではないが、背と膝を支えて横に抱く気の利いた抱き方でもない。自分の片手を椅子代わりに、主を自分の腕に座らせる様な格好で、もう片方の手を添えて支える。
「今のままの主上でないと、こんな風に出来ませんよ」
 意外と力があるのか、それとも陽子が軽いのか。
 ――景麒も随分と遊ぶようになったものだ、陽子は胸の奥からこんこんと湧き上がってくる不思議な感情を噛み締める。
 堪えきれず声を上げて笑いながら足をばたつかせる陽子に、よろめいた景麒は慌てて体勢を立て直そうとするが、一度崩れた重心はなかなか安定しない。
「主上、その様に動かれては……」
 しかし陽子は全く取り合わず、景麒の首に両腕を強く絡める。
「やっぱり高い所から見ると新鮮だな。このまま金波宮を一周しようか」
「何を仰るのですか。それより、もう少しじっとしていて下さらないと――」
 言いながらとうとう耐え切れなくなったのか、景麒はそのまま後ろ向きに柔らかい草の上に倒れ込む。
 主を上にして庇ったのだから、咄嗟の事にしては上出来であった。
「じゃあ肩車にするか?」
 景麒の胸の上で身体を起こして楽しげにそう言う陽子に、景麒は軽く頭を振って苦笑する。
「もう少し主上がお若ければそれでも良かったのですが」


戻る       (04/06/20加筆修正) 03/01/24

随分と時間が経ってしまいましたが、手直ししてまたUPしました。

かなり前のものなので、何だか最近のNOVELとは随分違っていてちょっと恥ずかしいです(笑)

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