※注意

PartTと同じく、景麒がヘンタイさんなのでご注意下さい。



「American Pie 〜PartU」


 景麒は陽子の残した細く滑らかな帯を握り締めながら天を振り仰いだ。しかし生憎室内の為、天を仰いだところでただの無機質な天井しか見えないが本人は気にしていないようだった。
 完全に思考回路が一本ずれてしまっているのは、恐らく最近続いた猛暑のせいだと思うことで、景麒の影に潜む使令達は情けない主人を持つ自らを慰める事にした。



 そして、現在に至る。
 主上が取るであろう行動をあらゆる角度から検証した結果、今日がその日だ、と景麒は確信していた。式典の衣装合わせがある事を景麒はきっちりと事前に下調べをしておいたのだ。
 間違いなく主上はまた逃亡してここに来る。そしてここでまた軽装に着替え逃亡しようとするはず。
 景麒は、あれ以来懐に忍ばせている陽子の帯をそっと取り出して握り締めながらそう考えた。

 普段生真面目で石頭な者ほど、一旦吹っ切れると何をしでかすか分からない。今の景麒はその典型だった。
 主上を不逞の輩から守る為。今の景麒には、この大義名分があれば充分だった。

 幸か不幸か、景麒の予想は大当たりだった。
 隙を見て逃亡に成功したらしい陽子が、重そうに裾を引きずりながら房室へと入ってきた。

 前回は本当にただ偶然着替えに遭遇してしまっただけで景麒にも同情の余地があるが、今回は確信犯である。
 陽子に見つかったらどうなるのか、それは景麒の想像力の限界を遥かに超えていたが、無理矢理捻り出した大義名分「不逞の輩から守る為」によりその不安を強引に打ち消した。
 一瞬ちらりと正気に戻りかけ、やはり後ろの壁をひたすら見詰めて陽子が出て行くのを待とうかという正常な考えが浮かんだ。しかしすぐにそのまともな考えは、
「主上と後ろの壁を比べて、後ろの何の変哲もないただの壁を見る方を選ぶなど失礼である」
という訳の分からない理屈によって打ち負かされてしまった。

 景麒の期待と鼓動が高まる中、陽子は覗かれているとも知らず腰紐を解き、脱いだ衣を大雑把に床に投げ出していく。
 すらりとした太腿が一瞬垣間見え、景麒は一人御簾の後ろで麒に生まれてきて良かった、と幸せを噛み締めていた。
 普段は幾重にも重ねられた衣に隠れて見えない細い項に、数本紅い髪がもつれながらかかっている様が何とも艶っぽい。
 陽子愛しさのあまり不器用を通り越して犯罪に走ってしまった麒麟を、賢い使令達は直接止めはしなかった。自分が麒麟だという事は完全に忘れ去っているのか、それともこの緊張感が病みつきになったのか、景麒はそのままひたすら目の保養にいそしんでいた。

 しかし、天網恢恢疎にして漏らさず。当然この至福の時が長く続くはずがなかった。

 身に纏っているのは薄い一単のみとなり、瞬きすら忘れて見入っていると、突然陽子の動きが止まった。

 一体どうしたのだろう、と景麒は不審そうに見る。
 どうかしてるのはお前だと賢い使令達は心の中だけで思った。

 陽子がつかつかと無表情でこちらに来るのが見え、景麒は顔色を変えた。
 陽子は御簾の手前で一度立ち止まった。
 景麒は身動き一つ出来ずその場に固まっていた。
 そして、二人を隔てていた御簾が陽子の手により一気に取り払われた。
 秋を通り越していきなり真冬になったかのような錯覚を覚えるほど、景麒の体温は急降下していった。使令達の気配が遠ざかっていくのを感じ、景麒は使令達が陽子に密告した事を悟った。賢い使令達は、王と麒麟どちらに味方すべきかよく心得ていた。
 御簾の後ろに隠れ覗き見をしていた景麒を、陽子はただ無言でじっと見つめる。永遠に続くかと思われた沈黙の後、陽子はゆっくりと唇の端を持ち上げた。陽子の微笑みにつられるように、景麒も普段使い慣れていない頬の筋肉を総動員してどうにかぎこちない笑みを浮かべる。
「景麒。一応聞いてやる。――そこで何をしているんだ?」
 普段は、表情にこそ出ないものの陽子に名を呼ばれるだけで内心喜んでいた景麒だったが、今日ばかりは全身の血が凍りつくような感覚に陥った。
 陽子は凍りついたままの景麒の手に握られている自分の帯に目を止めた。陽子の視線を感じ景麒は身を震わせるが、今更隠しようが無かった。
 必死に言い訳を探して景麒の思考は虚しく空回りする。
「あの、ですね……主上が……主上が御召し替えなさっている間……」
「私が着替えてる間が何だ?」
「その、邪な考えを持つ不埒な輩が……もしいたら……主上に害、が……」
 しどろもどろに無理矢理捻り出された大義名分が広い房室に虚しく響く。これが陽子なら堂々と無茶な理屈を振りかざしてそれを押し通しただろうが、生憎景麒にはそんな芸当は逆立ちしても無理だった。

 陽子とまともに顔を合わせられず、景麒は目を泳がせながら静まり返った房室を意味も無く見回した。心臓は早鐘を打ち、そろそろ限界である。
 景麒は必死に言い訳を考えた。何か正当な、陽子を納得させられるようなもっともらしい言い訳を考えた。しかし元々正当な行為ではないものに正当な申し開きが出来るわけが無かった。

 一生分の冷や汗を流した後、景麒は観念してその場に平伏した。

「申し訳ありません不埒な輩は私でした……」

 しばらくそうして陽子に額づいていたが、伏礼を咎める事もなく黙ったままの主に段々と不安になって来た。恐る恐る顔を上げると、陽子は相変わらず唇の端を上げるだけの笑みを浮かべていた。主の無言の責めに耐えかねて景麒は再び目を落とすが、それがまた不味い事態を引き起こした。中途半端に視線を下げた結果、薄い一単の合わせから、陽子の太腿がかなり際どい所まで見える事に気付いてしまったのだ。
 御簾越しではなく間近に垣間見てしまい、景麒は極度の緊張状態と相俟って口の中が干上がるのを感じていた。目を逸らすのも忘れ思わず見入ってしまうが、すぐに陽子の冷たい視線に気付き、ぎくりと身体を震わせると慌てて再び平伏する。
 蒼褪めたまま自分に額づいている景麒に、陽子は優しく言った。
「出来心でつい覗いてしまっただけなんだよな?」
「は、はい……そうです、申し訳ありません……」
 主の真意が分からず、景麒はただひたすら頷く。
 奇妙な程優しげな口調が逆に恐ろしかった。
「偶然私の着替えに遭遇して出来心でそのままつい覗いて、失敗したから今度は日を改めて私を待ち伏せしてまたつい出来心で覗いてしまっただけなんだよな?ついでに私の落とした帯もつい出来心で自分の懐に入れてしまった、と」
「そ、そう……です」
 言い繕い様の無い事実を淡々と並べられ、景麒は蒼褪めたままひたすら平伏しているしかない。
「いくら出来心とはいえ、このままあっさり許すのはどうかと思うのだが。
――景麒はどう思う?」
 黙ったままの景麒を微笑を浮かべながら見下ろし、陽子はあくまで優しく問いかけた。
 蒸し暑い房室内で王の足元に平伏したまま、景麒はやはり何も言えなかった。
 かつてこれ程の窮地に陥った事があっただろうか。
 偽王軍に捕らえられた時でさえ、ここまでの危機感は覚えなかった。宰輔として勤めた長くも短くもない時の中で、初めて味わう本物の恐怖に、自業自得とはいえ景麒はただ震えるしかなかった。

 慶東国瑛州首都堯天、景王赤子が治める煌びやかな金波宮のある暑い暑い夏の日の出来事であった。


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例によってタイトルはとある洋画から。
愛ゆえに景麒がヘンタイさんでかなり壊れています。
でも書いてる時はものすごく真剣でした(笑)

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