「ELOPEMENT 中篇」


 堯天は素晴らしく賑わっていた。その中を慣れない様子であちこち歩き回っている一組の男女は一際目だった存在だ。珍しい真紅の髪を持つ少女と、全身をすっぽりと白い布で覆った青年である。

 上機嫌の陽子を見失わないよう細心の注意を払いながら、景麒は騒がしい通りをよろよろと歩く。「視察しろ」と命じられたので街の様子をつぶさに観察しようとするものの、あちこち飛び回る陽子の後についていくので精一杯である。
 始終陽子に街の様子はどうだと聞かれるのだが、陽子を見張るので手一杯の景麒は、ろくな答えを返せない。ふくれっ面で睨まれても、不器用な景麒にはどうすることもできなかった。

 日もとっぷり暮れ、何をするのかと思ったら、今度は安宿に泊まるといいだした。もっと良い所を、という景麒の意見は黙殺された。

 陰気な通りの、所々塗料が剥がれている薄暗い宿屋の内部は、思っていたほど不快ではなかった。
 世話好きそうな女将とあれこれ話をしている陽子の後ろに無言でひっそり佇んでいる景麒は見ようによっては不気味だったが、幸い気にかける者はいなかった。
 雁から来た旅行者だと説明する陽子に、女将は心得顔でしきりに頷いている。何かあったら裏口から逃がしてあげるよという女将に、陽子は訳が分からないままにこにこと笑っている。どうやら何か大きく誤解されているらしいと景麒は気付いたが、説明してみたところで無駄だろう。いかにも育ちの良さそうな青年と少女の二人連れである、あれこれ想像したくなるのも無理からぬことだ。いくら放浪生活を強いられていた時期があったとはいえ、陽子の王宮生活も長い。よく手入れの行き届いた紅い髪や、傷一つない整えられた爪を見れば、普段の生活水準が垣間見えるというものだ。

 ここまではまだ、良かった。しかし部屋に一歩入るなり、景麒は彼らしくないやや上擦った声を上げた。
「主上……」
「なんだ」
「牀榻が一つしか見当たりませんが……」
「それがどうかしたのか? 全く、お前はお坊ちゃん育ちだな、そんな贅沢ばっかりいうなよ」
 贅沢だとか、そういった次元の話ではないように景麒には思われた。
「こんなに大きいんだから、別に平気だろう。二人用だって、女将さんもいってたよ」
 景麒が必死にどう進言すればいいのか考えている間に、陽子は止めの一言を放った。
「高校の修学旅行、結局行けなかったから、こういうの一回やってみたかったんだ。一緒に寝たり、枕投げしたり、朝まで起きてたり、くすぐったり押し倒したり」
 最後に何か引っかかる言葉が入っていたが、説得に必死の景麒は気付かなかった。
「ですが……」
「せっかく修学旅行楽しみにしてたのに」
 蓬莱のことを持ち出されると、景麒は弱い。いつの間にか駆け落ちから修学旅行とやらに変更されたらしいが、最初から駆け落ちとはいえない状況だったのでどうでもいい些末事である。

 すやすやと穏やかな寝息を立てて眠っている愛らしい陽子の横で、景麒は身じろぎ一つできず、ただひたすら夜が明けるのを待っていた。陽子が寝返りを打つたびに柔らかな紅い髪が景麒の頬をかすめ、心臓が跳ね上がるような思いだ。天国なのか地獄なのか、分からない景麒だった。


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